呪術廻戦0 夏油の儚い夢

この先はネタバレを含みます。個人の感想。基本的に語彙力がないです。

 

乙骨も好きだし五条も伏黒も好きだけど、夏油抜きには呪術廻戦は語れません。

夏油を分かりやすく悪役にするために、かつ夏油自身のパフォーマンスとして非術師をバカにしたり殺すシーンが多く盛り込まれていて「夏油は本当はこんな人じゃないのに・・・!」と思ってしまった私はしっかり夏油の猿です。

呪術廻戦0は過去編の内容を知らないと勧善懲悪の簡単なストーリーに思える。しかし多くの人の中で夏油が単なる悪としか見られていないことを少し不本意に思う。

補足) 殺されて五条が遺体を遺したばっかりに変なやつに身体乗っ取られた挙句、額に縫い目のない夏油の初めての商品化がビックリマンチョコのコラボで「スーパー夏油デビル」とか可哀想すぎん?デビルじゃねぇー!!!(猿、心の叫び)

 

コミックスでは高専時代の五条と夏油、また夏油が考え方を変える過程を丁寧に描いていて、私は苦しくなるほど夏油に共感してしまった。

 

夏油と五条は高専時代、まさに今と真逆の関係性。夏油は術師である自分のような人間が弱者を守るのが正義だと信じるお手本のような優等生。一方の五条は自分に特別な才能があることを自覚していて正義や正論なんてクソ喰らえと思ってる不真面目な学生。

でも現実は理不尽で複雑で簡単に善と悪が割り切れる世界ではない。必ずしも弱者=善ではないことが夏油を苦しめる。直接的ではないにしろ一般人を守るために自分の人生を捨てる覚悟をした天内理子の殺害を画策し、その死体を崇め奉る何も知らない一般人たち。弱者の尊さと醜さ、非術師を見下す自分とそれを否定する自分。非術師を守るために死んでいく仲間たち。

「誰のために?」

「ブレるな、強者としての責任を果たせ」

「術師というマラソンゲームの果てにあるのが仲間の屍の山だとしたら?」

ひたすら自身の中で問答を繰り返す夏油。そこまでして術師が一般人を守る意味とは何なのか。悩む夏油をよそに、ついに無下限呪術と六眼を使いこなし名実共に最強になった親友の五条。五条は自分の力を使いこなすことに快感を覚え、悩むことなく次々と呪霊を祓っていく。七海が言う。「もうあの人1人でよくないですか?」

五条悟にはなれない劣等感。弱者である一般人を守るために強者であるはずの仲間が死ぬ矛盾。呪霊さえ発生しなければ吐気を堪えて呪霊を取り込んでまで一般人を守る必要も無ければ仲間が死ぬことも無い。「呪霊の生まれない世界を作るためには全人類から呪力を無くすor呪術師からは呪霊は生まれないので全人類が呪術師になればいい」と言う九十九由基との出会いが夏油の自己問答に終わりを告げる。そしてある村での任務。美々子や菜々子のような生まれつき呪術が使える者を頭がおかしい、殺せと座敷牢に監禁する村民を見てついに夏油は一線を越えてしまうのだ。「非術師=猿はみんな死んでしまえばいい」と。

 

夏油はこの、呪術師という突出した特殊能力を持った者が存在する空想世界の歪みを体現したキャラクター。多くの王道と言われる物語では強者が「あたりまえ」に弱者を守っている。でもそれって本当に当たり前なのか?という自身が創り出した空想世界の矛盾、なんなら普段可視化されていないだけで現代社会にも存在する矛盾を曖昧なまま終わらせず物語の核にしていく芥見先生、すごい。夏油を登場させた理由に芥見先生は「思想が偏った奴が描きたかったから」と答えているけど、真面目な優等生の闇堕ち過程をそんな丁寧に書かれたらオタクは死にます。個人的にはSTARWARSでアナキンがダースベイダーになる過程をほぼ矛盾なく描ききったのと同じくらい鳥肌ものでした。そんな夏油の名前の由来は「夏油高原スキー場」だそうで、オタクの考えすぎを吹っ飛ばしていく芥見先生の適当さも好きです。でも、呪術師みたいな特殊能力者が存在する世界が目指すのは、全員が特殊能力者or特殊能力が存在しない、つまり今の世界だなんて本当に皮肉だよね。我々の生きている世界でも個々人によって才能や金銭面など多方面で格差があるけれど、呪力のようにあまりにも突出した能力が存在するわけではない(or全員が能力を保持しているため現在の社会では特殊能力だと見なされていない)とても幸せな世界線なのかもしれないな〜なんて思いました。

 

今回の夏油は確かに社会の秩序を乱す「悪」なんですが、これがやり方を間違えていなければ高専からも夏油側につく者が出たかもしれない。乙骨も言ってたしね「あなたの考えが正しいかどうかは分からない」って。呪術廻戦の制作サイド、夏油の考え方を否定してる訳じゃないんだよね。けれど、夏油は完全な悪にはなりきれなかった。非術師を殺すなどのパフォーマンスを大々的にやっていたけれど、それは夏油が夏油自身に「猿は嫌いだ」と言い聞かせ、良心の呵責を振り切り自己暗示をかけるため。実際、夏油の横にいた女は猿の血を汚らわしそうに避けていたけれど、その後の百鬼夜行で真希さんの血を夏油は踏んでいた。それは夏油は本当は猿の血を汚いとは思っていなかったことの表れだと思う。芥見先生も「新宿と京都に戦力を分散しなければ勝っていたのは夏油」と言っている。死んでもいいと覚悟を決めて向かってきた乙骨と違い、夏油は自分の家族たちを逃がすことを優先に考え死んでも勝とうとしていた訳ではなかった。その覚悟の差、甘さ、優しさ故に負けたのだ。

 

夏油は誰よりも真面目で、誰よりも仲間(術師)のことを大切に思っていた。夏油は一般人なんかより大切な仲間を守りたかったから呪術師をやめた。守りたかった仲間に、しかも親友に自分の最期を委ねることになるとは何たる皮肉だろうか。本来、五条は孤高故に他人の心情を慮れるタイプではなく時に残酷な一面も見せる。百鬼夜行で「死ななきゃOK、死んでもしょうがない」くらいの精神でパンダと棘を高専に送ったのもなかなかにサイコパスだ。教師失格。対して夏油は家族の無事を第一に考え非情になりきれなかった。本当に教師に向いていたのは夏油の方だったのだろう。家族たちの負担は最小限に抑え、自身は呪霊を山ほど取り込んで最大限に努力していた真面目さや自己暗示をかけていたあたり、少なくとも夏油はテロリストには向いていない。夏油は「軽薄で時に残酷な人間に見えるように」五条の真似をしていた。五条は「優しく心ある人間に見えるように」夏油の真似をしている。またTwitterで何方かが考察されていたが、五条の無下限呪術の「拒絶」に対し夏油の呪霊操術は「受容」だ。拒絶はいくらでも出来ても受容には限界がある。お互いの術式にまで本来の性格が反映されているように思えてとてもしんどい。この五条と夏油の対比、お互いないものねだりで本当は五条は夏油のように、夏油は五条のようになりたかった因果の深さに私は惹かれるのだと思う。

 

映画の最後、King Gnuの逆夢のイントロと共に「たった1人の親友」と五条が言う。逆夢の歌詞は乙骨と里香をベースに書かれているそうだが、まるで五条と夏油のことを暗示しているようにも思える。五条がいなければ今の夏油はいないし、夏油がいなければ今の五条もいない。夏油が離反してから五条は一人称を俺から僕に変えた。最期まで2人は真反対で、親友で、最強で、それは夏油が死んでも変わることはない。夏油はすこし真面目すぎた。真面目に夢を見て叶えようとした。それがたとえ間違った方向で、夢が叶わなかったとしても夏油の人生は立派だったと一介の猿は思う。

 

King Gnuの常田大希は、提供した楽曲は「作品の奴隷」だと言っていた。2回目に見に行った時は諸事情で最後まで聞くことができなかったが、この歌を聞くためだけにでも行く価値があると思う。逆夢のあと一途がすごいスピード感で殴りかかってきて、ここでも夏油が負けたことを痛感して猿は辛い気持ちになるのだが笑

 

あなたが望むなら
この胸を射通して
頼りの無い僕もいつか
何者かに成れたなら

訳もなく
涙が溢れそうな
夜を埋め尽くす
輝く夢と成る

白い息は頼りなく
冬の寒さに溶けて消えた
あの日の重ねた手と手の
余熱じゃあまりに頼りないの

春はいつだって
当たり前の様に
迎えに来ると
そう思っていたあの頃

瞼閉じれば
夢はいつだって
正夢だと信じてたあの頃

あなたが望むなら
何処迄も飛べるから
意気地の無い僕もいつか
生きる意味を見つけたなら

愛と憎を
聢と繋ぎ合わせて
一生涯醒めない程の
荒んだ夢と成る

凍える夜空を
二人で抜け出すの
あたたかいコートを
そっと掛けたなら

あなたはいつだって
当たり前の様に隣にいると
そう思っていたあの頃

失くせやしない
記憶の雨が古傷へと
沁み渡ろうとも

あなたが望むなら
この胸を射通して
頼りの無い僕もいつか
何者かに成れたなら

訳もなく
涙が溢れそうな
夜を埋め尽くす
輝く夢と成る

記憶の海を潜って
愛の欠片を拾って
あなたの中にずっと
眩しい世界をそっと

この愛が例え呪いのように
じんわりとじんわりと
この身体蝕んだとしても

心の奥底から
あなたが溢れ出して
求め合って重なり合う
その先で僕ら夢と成れ

あなたが望むなら
この胸を射通して
頼りの無い僕もいつか
何者かに成れたなら

訳もなく
涙が溢れそうな
夜を埋め尽くす
輝く夢と成る

正夢でも、逆夢だとしても

 

他にも語りたいことは山ほどある。

乙骨はキャラ的にも声的にもシンジくんだったけど、夏油と戦うシーンは最高に自己中心的で才能に溢れ、見るものを惹きつけた。最後里香ちゃんと一緒に向こうに逝く覚悟を決める時、失礼だな純愛だよと言う時、そこにはもう弱く内向的な乙骨憂太はいなかった。夏油のことばかり書いたが、呪術廻戦0は間違いなく乙骨の成長の物語だ。まだ幼かった乙骨が事故で死ぬ間際の里香ちゃんに「死んじゃダメ」「一緒にいよう」と無意識に願ったせいで里香ちゃんは成仏できず呪いとなった。「死んじゃダメ」から派生した呪いを解くためには「一緒に死ぬ」覚悟が必要だったとは。何度でも言うが芥見先生の物語構成の上手さには本当に脱帽する。あと緒方恵美さんのリップ音なんで消すのーッ!!!オタクにも聞かせて欲しかったです。

五条は相変わらずイケメンだった。中村悠一曰く作画コストが凄いらしい笑 夏油が五条との差を感じて劣等感に苛まされたように、五条も最強であるが故の孤独を感じていたことを夏油は知っていたのだろうか。五条は高専時代、夏油の判断を善悪の価値基準にしていた。その夏油が離反し、善悪の価値基準を自分の中に置くようになった後も夏油の考えが分かる部分が多くあったのだろう。だからこそ夏油とは違う「教育」というやり方で呪術界を変えていくことにしたのだ。五条が夏油に手をかける前最期に言う言葉は原作では無音で表現されているが、中村悠一はその言葉を演じたそうだ。それを聞いてから櫻井孝宏が「最後くらい呪いの言葉を吐けよ」と言っているのだとラジオで言っていた。しんどすぎ。

真希さんがまだ元気に「禪院家のやつらに吠え面かかせてやる」って言ってて泣いた。五条が夏油を殺したあとも遺体を完全に消しされなかった友情に泣いた。ナナミンがまだ生きてて泣いた。もう猿には語彙力が残っていない。最後に・・・とても良い映画だった。最高の年末でした。劇場版呪術廻戦0に関わった全ての人にありがとう。